姫路モノレールが作られるきっかけとなった「姫路大博覧会」そのメイン会場であった手柄山公園。当事の華やかな雰囲気は残念ながら消え失せ、当時を思い起こさせる施設が残り、ひっそりと時を過ごしているように感じられる。
 しかし、古くなり取り壊される時期を無事乗り越え現代に至っては、懐かしくそして昭和の古きよき時代を感じることができる。これらの建物や施設の価値が認識され、この先も在り続ける事を願います。

 中世のお城のようなデザインの手柄山駅屋上から姫路駅方面をみたところです。写真中央に姫路城が見えます。
 屋上部分の多くが公園来場者用の有料駐車場になっていますがタイルで綺麗に整備されている部分があります。その下階にモノレール手柄山駅と車両が当時の姿のまま残っています。
 聞くところによると駅や車両保管区は吹き抜け構造となっていて建物の強度不足が考えられるので、振動や重量がかかる駐車場から外されているようです。
 上の写真のちょうど反対を向いた所です。彼方に播磨工業地帯と、煙突からたなびく多くの煙が見えます。
 当初の計画では、この手柄山駅からさらに軌道が延伸され工業地帯と姫路駅を結ぶ重要な交通手段になる予定でした。
 姫路大博覧会当時の展望台が残っています。近づいてみると作りこみが良く綺麗な曲線で作られています。残念ながら現在は危険防止の為、塔に登ることはできません。
 姫路モノレールの"父"故石見 元秀市長の銅像が姫路市中心部を見渡す場所に建てられています。
 右手には帽子を左手には設計図のような書類を手にされています。
 故石見 元秀市長の功績を称える言葉が刻まれています。故石見市長が市長選に敗れ30年近くの年月が流れ、2003年ご子息である石見利勝氏が新市長に就任されました。
 これまで負の歴史であった姫路モノレールが見直され貴重な資源として考える等、姫路モノレールをとりまく環境が少しづつ変ってきたようです。
 公園の中央部には、太平洋戦争時の空襲で亡くなられた方の慰霊塔が建立されています。
 あのような悲しい歴史が二度と繰り返されませんように。

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