モノレールを取りまく時代背景 日本各地の都市が自動車の急激な普及により交通事情は非常に悪く、また排気ガスによる光化学スモッグ等が社会問題となっていた。 自動車の代替え交通機関としててっとり早いのは路面電車であるが、交通の妨げになりかえって渋滞原因となる。また地下鉄は金が掛かり過ぎるという問題を抱えていた。 そんな時次世代の交通機関として注目を浴びていたのがモノレールであり、都市交通機関としてモノレールが今後は主流となると考えられていた。鉄道車両メーカーがこぞって独自規格のモノレールを考案した事からもそれがわかる。
跨座式とは私達が一般的にイメージするモノレールで、文字通り軌道の上をまたがってすわる方式。 懸垂式とは軌道桁にぶら下がっている構造で、走行の為のタイヤが軌道に覆われており、雪や雨に強いというメリットがある。 多くの鉄道メーカーがしのぎを削る中、姫路モノレールが採用したロッキード式は航空機で有名なアメリカのロッキード社の規格で、他の規格がゴムタイヤを使用するのに対して、鉄道車両で実績のある鉄レールと鉄車輪を使うシステムで、最高速度は160km/hという高速運転が可能とされたのが最大のセールスポイントであった。 各メーカーともモノレールの主導権を握る為に、各地の遊園地などに実験路線や実用試験路線とも言える比較的路線長が短い路線を開通していった。その結果、規格が全く違うモノレールが日本各地に出来てしまい、収拾がつかなくなるのを抑える為に、三菱の懸垂式と日立のアルウェーグ式を中心とした日本跨座式が統一規格として発足。これにより姫路モノレールが採用したロッキード式は今後の採用が見込めなくなった為会社を解散、このことが姫路モノレール廃線の致命傷となってしまった。 |
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