ひっそりと眠るモレールの車両です。廃線と同時に解体される鉄道車両が多い中、何十年もこの場所で眠り続けています。
 手前に見えるのが、保線用のモーターカーで、休止になった1974年(昭和49年)4月後も、廃止される1979年(昭和54年)まで、保線で活躍していたそうです。
 懐かしく感じるかわいらしいデザインで、塗装もさわやかで暖かみのあるツートンカラーですね。
 埃にまみれていますが、塗装などの外見はとても綺麗、少しの掃除で現役の車両のように甦りそうです。
 一度でいいから乗ってみたかった・・・
絶対かなわぬ夢ですね
 航空機で有名なロッキード社製と言う事もあり、航空機の技術を生かしたジュラルミンのリベット止め車体に白とブルーのツートーンの塗装。ジュラルミンの金属光沢剥き出しの部分も見えます。
 当時の子供たちは、未来と宇宙を連想したといいます。
 車両は計4両製造され通常は2両運転し、繁忙時は3両編成、一台は予備とされたそうです。


 私は姫路から遠く離れたところに住んでいます。モノレール取材の為初めて姫路を訪れた時、自動車で行きました。行きの高速道路大阪吹田ジャンクション付近で渋滞にはまってしまい、すぐ横を通る大阪モノレールを見ながら 「確かに省スペースで未来的な乗り物だな」とぼんやりと考えていました。取材を終えて帰路で再び大阪モノレールを見たとき、行きとは全く違う心境で大阪モノレールを見ている自分がいました。大阪モノレールは、営業距離23.8Km(更に延伸工事中)で世界一を誇るモノレール。鉄骨の橋脚で地上を見下ろす車両や駅も明るく華やかで昭和40年代時に描いた未来の鉄道像がある。先ほど自分が見てきた姫路モノレールとは対極であった。
 地方都市であったにもかかわらず東京に次いで国内2番目のモノレール、またその方式は世界初のロッキード式で姫路モノレールと神奈川県の向ヶ丘遊園線にしか採用されなかった世界でも稀なモノレール。このギャップが私にとって重く痛かった。しかし、しばらくしてそうではないと思えだした。姫路モノレールは何が豊かで何が良いのかわからなかった昭和40年代に試行錯誤で生まれた チャレンジャーだったのである。私の想像であるが、残念ながら廃線となってしまったが姫路モノレールから得られたノウハウは大阪モノレールで参考になったと思えた。 結果的には短い年数で廃線となってしまったが、その発想は現代にも通じる素晴らしいものであったし営業開始路線が姫路駅から手柄山ではなく、せめて姫路城まで延びていれば・・・全く別の展開になっていた。それがとても残念であった。この取材でお話を聞いた何人かの姫路市在住の方からも同じ意見が出ていました。

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